2014年10月1日水曜日

途上国ってどんなところ? [下村菜央]

2013年度の翔学米生の下村さんの渡航体験の概略を許可をもらって掲載させてもらいます。
2014年8月4日~8月17日までの約2週間ほど、タイのチェンマイとバンコクに滞在してきました。点線以下が体験記です。


インタビュアー:熊野川翔学米事務局 田斉省吾(早稲田大学3年)


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――自分独りの力で海外の人々と交流してみたいということを応募の動機の1つとして書いていましたが、実際に女の子1人で東南アジアを旅するというのは心細くはなかったですか。


心細さのようなものはなくはなかったのですが、そこまで強くはなかったです。ただ、初日、タイに着く前に前泊したハノイは強烈でしたね…。空港を出た瞬間に日本客目当てのタクシーのおじさんたちに周囲をドワッと群がられて、中には一旦空港内に引き返しても付いてくる人までいて…。市中では、優しそうな顔をしたパン売りのおばさんに出くわしてパンを買ったのですが、後々になって冷静に計算したら日本円にして400円くらいでそのパンを買ってるんですよね。ベトナムの物価で言ったら20円くらいで買えたはずなのにちょっと動顛していたこともあってか、はっきりとはその時点で気付けませんでした。ベトナムの印象が強すぎて、そのあとのタイでの生活のインパクトが上手い具合に薄れたという面がひょっとしたらあるかもしれないです。




――現地でのコミュニケーションで何か問題が生じはしませんでしたか?


滞在当初、街頭でしょっちゅうキスミー、キスミーと言われて頭の中が「?」でいっぱいだったのが、ちょっと後になってエクスキューズミーのなまりだと分かった…とか、現地英語の強烈ななまりに若干困惑したりはしましたけど、コミュニケーションは紛いなりにもとれていたのではないかと思います。バスやゲストハウス内で居合わせた旅行者とはある程度は積極的に会話しましたし、現地の人ほどは値切れなかったですがトゥクトゥク※1の値段交渉も頑張って挑戦しました。
印象に残っていることとしては、ある店でメニュー名は読めないし写真も掲載されてなかったんですけどお手頃な価格帯だということで300バーツ※2の魚料理を頼んだことがありました。外観が分からないので出されたものを素直にそのまま食べていたのですが、しばらくしたタイミングで伝票をサッと店員にすげ替えられたんですね。見ると300バーツのはずが350バーツと記載されている。詰め寄ったら、「あんたに出したのは350バーツの料理だ。何でその場で言わないんだ。お前、もう食っただろう」と平気な顔して言うんです。けっこう頑張って300バーツにしてもらえることになったんですけど、話を聞いていると店長さんが対応した店員に対して「損した50バーツ分はお前の給料から天引きだ」というようなことを言ってて、結局可哀想で50バーツその店員にあげたんですが。これはなかなか衝撃的でしたし、文化の違いをちょっと感じた出来事でもありました。


――優しい!それに下村さんの度胸も凄いなぁ…。…ところで文化の違いということで言うと、日本とも欧米とも違う、東南アジアの文化を直に観てきたいと言っていましたが、その辺りの機会には恵まれましたか。例えば、世界史が大好きで史跡を直に観たいという話をしてくれていましたよね。


そのための時間はたっぷりとれたので、行こうと思っていたところはあらかた巡れました。史跡は特にチェンマイに着いた最初の3日間で精力的に回りました。強く印象に残っていることとしては、あちらの寺院はどこも金ぴかの装飾なんです。同じ仏教のお寺、仏像なのにどうしてここまで日本と違う形をとるのか、本当に不思議に思いました。金、金、金だったので途中からはちょっとだけその金ぴかに食傷してしまいましたね…。それだけに茶色じみた落ち着いた色が基調のワット・チェディ・ルアンという寺院には安堵感というか親近感を覚えました。




――食文化というところではどうだったでしょう?


一番記憶に残っているのはフルーツですね。露店がいつでもどこでもあってとても身近な存在でした。すごく安くてその場でそのまま食べれる。だから、ついつい食べ過ぎてしまうんですが、おかげで美味しい果物を色々と試すことができました。
果物以外でもけっこう色々なものを食べる機会がありましたが、美味しいものは多かったです。極端なもので言うと屋台で売ってる虫料理とかにもチャレンジしてきました。飲み物に関してはちょっと例外で、あっちのお茶はどれも紅茶みたいに甘くて「食事の合間に飲むにはちょっと…」という感じだったので、水を買ったりしていました。ただ、それ以外は特に不都合なく過ごせました。渡航前はけっこう痩せて帰ることになるのかなぁと想像していたんですが、むしろ2kg増えて帰ってきました(笑)。


――それはよかったのかな、悪かったのかな(笑)。何はともあれ無事、健康に過ごせたのは何よりでした。他には…レジャーはどんなことをしてきました?


首長族の集落を訪ねるツアーに参加したり、タイ式マッサージを受けてみたりしました。後者に関してもう少し言うと、タイではショッピングモールがだいぶ整備されていて、その中にはタイ式マッサージの他にもスパ、オイルマッサージ、美顔ケアといったような美容サービスが充実していました。日本でならこういうサービスは数千円かかると思うのですが、それが600円とかそこらで受けられてしまう。人によってはこういう健康、美容面でのサービスを受けに来る目的だけでも十分タイ旅行は元手が取れる満足度が得られるだろうなと思いましたね。


――それは面白い視点ですね。ショッピングモールか…。一昔前はタイも「微笑みの国」なんて言われていてのどかな国の代名詞みたいに言われていましたが、だいぶ近代化が進んでいたんじゃないですか。


そうですね。その中でもチェンマイとバンコクとでは和歌山と東京ぐらいの違いがあったりして。ただ、その中でも、多少の例外はありましたけど、タイで接した人は優しい人が多くて、「微笑みの国」と呼ばれるような雰囲気はまだ残っているのかなと感じました。





――なるほど。限られた期間ながら、色々な視点からタイの文化を観察、満喫できたみたいですね。…ちょっと話を変えますが、今回は日本語学校を訪ねてきたんですよね。


はい。バンコクにある日本語教室に行ってきて、新宮市の紹介をしてきました。想定外だったこととして、そこの学生さんたち側が私のためにわざわざ丸一日割いてバンコク探索を企画してくれていたんです。お昼ごはんから街中の案内までいたせりつくせりで対応してくれて本当に有難かった。日本への出稼ぎを間近に控えている男性3人だったんですけど、習い始めてたったの3か月なのにリスニングもスピーキングも凄い高いレベルだったので驚きました。生計に直結しているし集中力が違うのかなと。会話も大方、日本語で通せてしまいました。


――「進路の一つとして日本語教師を考えていて現地で当事者の話を聞いてきたい」ということを今回の渡航の目的の1つにしていましたが、その観点からはどうだったでしょうか。何か今まで抱いていた日本語教師像から変わったこと、明確になったこと等はありましたか?


今まではハードルを少し高く考えていた、教育免許をとることにこだわっていたということが言えるかなと思います。採用に当たって、日本語教育能力検定試験※3の資格を取得したほうが有利なことは有利で、中にはそれを条件づけている学校もあるようですが、タイではその辺の条件に割と幅があるようでした。ということは、必ずしも早い段階で日本語教師になると決めなくても、専門の課程に進学しなくても、なりようがあるのだなと。大学卒業後の将来についてはまだ複数候補がある状態です。これからしっかり考えたいですが、その選択肢の1つとして日本語教師という選択肢は今後も持ち続けられるということですし、持ち続けたいです。
また、ずっと就く職業として日本語教師を考えるのではなく、「ある地域で学びたい」、あるいは「ある地域で生活してみたい」という思いが起こった時に、その際に従事する。人生のある段階、ある時期だけ日本語教師として働くという選択肢があり得るということに気づけたのも1つの収穫でした。


――この日本語学校の件に関わらず、他に自身の将来の事に関して、今回の渡航で影響を受けた、変わったということはありますか?


進路というのとはちょっとニュアンスが違いますが、語学への意識・姿勢は変わりましたね。日本語学校の生徒さんの事ですが、先ほども話したとおり本当に彼らは日本語が出来るんですよね。対する私は長年英語を学び続けているのにまだまだ不十分にしか話せない。これには本当に恥ずかしくなりました。だから、これからはもっと勉強して英語力を伸ばしたいし、大学進学後に海外留学するという選択肢についても改めて興味が出てきました。




※1 タイのオート三輪車。後部座席に複数人の乗車が可能で、タクシーの代替手段として(現地にはタクシーもあるがこちらのほうが割安である)として現地人、旅行者の両方に広く利用されている。


※2 時期により多少の変動はあるが、大まかに言って1バーツ=3円前後。


※3 日本語教育に関する体系的な知識、及びそれらの知識を関連づけて時々の状況・環境に応じて実践するにあたっての素地を図るために実施されている試験。日本語教師の採用条件として、この試験の合格や語学教育に関する専門的な学位を設定している学校がある。
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今回のインタビューで個人的に特に印象に残ったのが下村さんの日本語教師の捉え方です。「大学進学後もまだ進路の一つとして考慮できる時間の余裕がある」とか、「一生の一期間に従事することを考慮してもいい」とかいった柔軟な発想は、インタビュアーの高校の頃過ごした環境では到底できっこなかっただろうなと思います。

その他にも、下村さんの滞在そのものが長めだったということもあり面白い話をたくさん聞かせてもらえて実に楽しい時間を過ごさせてもらいました。